ノリと勢いで熟女系風俗に行った話

みなさんお久しぶりです。

私です。

体調不良による休学や二度めの就活など長く苦しい戦いを終え、先日ついに修論発表会を乗り切りました。IGAAAAAAAA


解放!感!!!


うおおおおおおお、やることは一つ!


熟女系風俗へ行くぞ行くぞ行くぞ!!!

ということで、急に行きたくなくなる可能性を考えて数日前に予約しました。



当日



朝起きて諸々の準備をしていると急に吐き気が!
身体が謎の拒否反応を示しはじめましたが、軽く吐いて無理やりうどんを詰め込むとおさまりました。
低血糖だっただけだね、きっと。自己暗示はだいじ


さあ、腹ごしらえもしたところでお店に向かいます。雪まつり会期中なのですすきのには人がたくさん。風俗店に入るのは少し恥ずかしいかもしれません。

普通の人ならばね。私は羞恥心の回路が焼き切れているので堂々と店の門を潜りました。まるでレッドカーペットを歩くハリウッド俳優のように。


店構え。どう見ても入りづらい。


受付で支払いを済ませ、黒服の指示通り待合室で待つことに。最近の待合室って禁煙なんですね。煙モックモクのイメージでしたけど。


数分待つと黒服からの案内が。
指名した嬢とのご対面です。


うーん、思ったよりおばさん!!!
表記年齢39歳の方だったので40前半を想定していましたが、50前後に見えます。いやまあ熟女系なのでそれはそうなんですが。お前がはじめた物語だろ

二人ベッドに座ってまずはお話しします。
ボディタッチやキスも混ぜながらのお話。
徐々に謎の疑問が湧きはじめます。


お話の内容井戸端会議すぎんか?


近所のおばさんどうしが話すような内容を話しながらフレンチキスしたり愚息をいじられたり、意味がわかりません。全く良い意味ではなく思考回路はショート寸前です。

話に飽きた雰囲気を出すとお風呂場へ。

いろいろ洗ってもらったりなんだのしていたら突如人生初のマットプレイが開始されました。

対戦よろしくお願いします。

熟女の慣れた手つきで執り行われるプレイ。好きな人もいるんでしょうが、知らないおばさんの淫部を身体に擦り付けられるのは僕には良さがわかりませんでした。うつ伏せになって壁を見ていると我に返ってしまい、「平日の昼間から俺はなぜおばさんに股を擦り付けられているのか」という問いに思いを馳せていました。ラノベのタイトルみたい

マットプレイが終わり、感想を聞かれたのですが、「なんかよくわかんなかったです」という意味不明の回答をしてしまう始末。そもそも分かるとか分からないじゃないだろ。


マットプレイが終わるとベッドへ。ここからはマジで普通の性行為で生々しいので少し割愛させていただきます。



ベッドでのプレイ



結果から言うと全く逝けませんでした。というか逝く気配すらなかったです。

無理やり出そうと自分の手でシコり始める強行手段に出ましたがそれでもダメでした。「自分の手でやってみるんで見ててください」と伝えた時の嬢の何言ってだこいつと言う顔が忘れられません。たぬきちみたいな顔をしていた


時間が来たのでそのまま着替えながらまた謎のお話しタイムが始まります。

少し気まずかったので、言い訳がましく「彼女とか出来てもいつも最初はいけないんですよ〜、緊張ですかね笑」とか言ったのですが、元カノのことを思い出して自傷ダメージを受けるなどしました。

そもそも確実に緊張のせいではないです。なんなら行為中八割くらい目を閉じていました。心眼みたいでかっこいいと思う。うん。

「二回目ならいけるかもしれないね!また来てね!」との激励を受けましたが僕の心はもう折れています。そもそも風俗に行くことももうないかもしれません。愛のないセックスはブブーッ、ですね。

消化不良ではありますが、二万溶かした事実を可能な限り考えないように退店、放心状態で帰宅しました。



今回の経験から、私は仕事として行われる(金銭のやり取りが発生する)性行為がおそらく好きではないことがわかりました。やはりそのような行為は互いに求め合って、互いの同意の上に成り立つものであって、お互いがお互いを想い合う気持ちが重要なのだと感じられました。私の性行為に対しての価値観は女性寄りのようです。

また、「表記年齢プラス5歳程度では収まらない」という知識も大きな収穫でした。失礼ながら今回指名させていただいた方はプラス10歳、もしくはそれ以上の年齢に見えました。なんなら還暦手前の母と同じか、なんなら母の方が若く見える可能性までありました。

もしかして母ちゃんアンチエイジングがんばってるのか?母がアンチエイジングに力を入れている可能性が急浮上しました。そもそも性交渉した相手と母親を比較するな



まとめると今回の経験から、「私は愛のないセックスが好きではない」「私の母は若作りに成功している」という二点の新事実が発覚しました。

みなさんも自分を知るために、いや、自分の家族を知るためにぜひ熟女系風俗へ!

俳句?川柳?短歌?を始めました

こんにちは。

週に数回のバイトと修士論文だけの半フリーター生活を送っている私です。

そういえば、先日の記事cabbage-man.hatenablog.comで報告した彼女ですが、高速で別れました。悲しいよお。だいぶ僕が終わってたので自責の念に駆られています。

はい。忙しいわけでもなく、独り身になって家にいる毎日。

あまりにもすることがないので最近、

詠んでいます。

することがない、というか、海外旅行とか長時間ぶっつづけでゲームとかサイクリングとかやりたいことは多々あるんですが、金と体力がないです。


季語とか字余りとかなんかよく分かんないので、「可能な限り七五調にする」というルール以外は設けずに詠んでいます。だってよくわかりませんもの、ねえ

何はともあれ、ここ一ヶ月弱ほどで生み出した私の可愛い子供たちをご覧ください。


どう、ですかね。自分でも何を言いたいのか分からない句?首?もありますし、出来は良いとは思えません。

が、

出来はどうあれ、考えている最中は非常にとてもウルトラ楽しいです。脳の普段使わない部分をフルに動かしている感覚があります。

何よりバイト中暇な時に脳内で新しい句を考えるだけで時間を潰せます。必要な道具は自分の脳みそだけ!というのがポイントで、いついかなる状況でも詠めます。時間を潰せます。

なんだこの趣味。有用すぎる。

多分ボケ防止にもなるしこのまま生涯の趣味として続けていこうと思います。すぐ飽きそ〜〜〜

皆さんも仕事や授業の空き時間、手持ち無沙汰だけど周りの目が……というときにぜひ。

意外と楽しいですよ。


満月の夜、縁側での句会で会いましょう。それではまた。

COVID-19 の後遺症(疑い)になった話

二年半ほど前にコロナ後遺症疑いになった(少し症状が残るものの現在は寛解している)ので、少しでも啓蒙?になればと思いここに記録します。

僕の場合少し状況が特殊で、もしかしたらただのメンタル面の不調の可能性もありますがご容赦ください。

!!筆者は医療関係者ではないので、あくまでも主観に基づく体験記としてお読みください!!

予兆

2020年2〜3月ごろ、高熱、悪寒、鼻水などの風邪症状を感じました。少し熱がおさまってきたかな〜くらいで咳が止まらなくなり、意を決して医者へ。病院にて「なんかコロナ?とかいうの流行ってるみたいですけどそれですかね笑」と伝えると「ただの風邪だよ」とのこと。この頃は新型コロナウイルス騒動のはじめのはじめで、一般人、医者含め一部の運の悪い人のみがかかる病気という認識でした。

風邪症状も治まってきたころ、味に違和感を覚えました。なぜかいつも食べている納豆がとてもしょっぱく感じます。あとで分かったのですが、これは嗅覚を感じにくくなり味覚が鋭敏になったことから来たものでした。匂いが感じづらくなったこともあり、耳鼻科にかかりましたが、既に風邪症状は治っており、通常の嗅覚障害として治療することに。咳が止まらなくなった後に嗅覚障害、順序は通常のコロナ罹患者と異なっていたものの、条件が重なったこともあり流石に自分でも新型コロナウイルスの感染を疑いました。

しかし、この頃は未曾有の事態に行政の対応が間に合っていない時期。市の保健所に連絡しましたが、風邪症状もなく発熱もしていない私に検査を受ける権利はありませんでした。市販の検査キットなどもまだ出回っていなかったのでただの嗅覚障害患者として通院することになりました。

発症

風邪症状および嗅覚障害が発病してから一年ほど経った頃、私は就職活動を行っていました。一年経っても嗅覚障害は治らず(一般的に半年以上嗅覚が戻らない場合治ることは難しいとされている)、いろんなものの匂いが薄くなったことの悲しみ(この頃付き合っていた好きな人の匂いが分からなくなったことが一番辛かった)はありましたが、障害が起こったのが視覚や聴覚ではなかったことの幸せを噛み締めつつ日々生活していました。

たしかこの頃、第一志望の企業に内定をいただけました。その少し後、卒論だのなんだのやること終わらせて残りの学生生活を楽しむぞ!と意気込んでいたその時に後遺症が発病しました。

最初に違和感を感じたのは強い息切れ、倦怠感です。友人とラーメンを食べようと店まで歩く途中、歩くという行動が非常に辛く、店までの道のりで倒れかけました。なんとか店につき、食事はできたものの、声を出す元気があまり出ず会話はほぼできませんでした。友人に何かあったかと心配されるのが嫌で、無理やりにでも会話していましたが、大袈裟ではなく気絶しそうでした。

そこからが絶望の始まりでした。

20代、若い自分の身体に大きな異変なんか起きないだろう、とたかを括っていた私は数日で治ることを疑わず、家で休養を取ることにしました。しかし、何日寝ても倦怠感、息切れが取れませんでした。例えるなら、長距離走を走った後の疲労感や息切れが常に続く感じです。卒論のための研究どころか日常生活もままなりませんでした。この頃は近所のコンビニやスーパーに買い物に行くと、一週間寝込んでしまうほどで、半同棲していた彼女に手助けしてもらいました。もし一人だったら、と想像すると非常に恐ろしいです。

まともに動けない日が何日も続き、ネットの情報などからも自分の症状がコロナの後遺症に当てはまることはすぐに分かりました。自分が「今後の人生に大きな影響を及ぼしかねない病気に罹患したかもしれない」という事実を受け入れるのは辛かったですが、取り柄の冷静さを欠いてはいけない、と自身を鼓舞し、病院へ向かいました。

一年以上前に風邪症状があったこと、嗅覚障害を患っていること、強い倦怠感で動けなくなったことを医師に伝えると新型コロナウイルスの後遺症ではないか、と診断されました。ただし、私は一度も陽性判定を受けていません。この受診と同時期に抗原検査、抗体検査などいろいろな検査を行いましたが全て陰性でした。また、呼吸器内科や循環器内科、糖尿病甲状腺クリニックなど科にまたがって不調を伝えましたが身体に異常はありませんでした。真偽の程度は定かではありませんが、私に対して新型コロナウイルス感染症後遺症という診断以外はくだらなかったのです。

後遺症について

ここで少し後遺症についてお話します。後遺症には様々な症状が存在しますが、私の場合は嗅覚障害、息切れ、倦怠感、胸痛でした。最も辛いのは息切れと倦怠感で、何が辛いかというと、活動すると悪化してしまうことです。適度な運動が状況を打破するのでは、と思い筋トレなどを試みた時期もありましたが、寝たきりになる時間が増えるだけで何の意味もないどころか病状を悪化させてしまいました。倦怠感の程度ですが、外出は困難、人と会話するのがやっとでした。気合いを出せばシャワーを浴びる程度には動けたので、これでもまだ私の場合は軽度だったと思います。

また、息切れや倦怠感は他者の目に見えません。ほぼほぼ寝たきりになっている私の姿は事情を知らない人からすれば怠けているだけに見えたでしょう。後述しますが、他者から理解を得にくいことや、社会の荷物になってしまい人に迷惑をかけている罪悪感から精神も不調をきたしました。

後遺症と生活

家から一番近いコンビニにすら行けない私はもちろん大学にも行けません。仕方ないので研究室の指導教員に連絡して、お休みをもらっていました。したがって、全く研究が進みません。当たり前ですが、卒業できるめども立ちません。

ここで大学を休学するという選択肢が浮かびます。そのためには保護者(私の場合は両親)からの署名および捺印が必要です。私は心配をかけたくないという思いから親へ連絡することをしていませんでした。実家から遠く離れた大学へ通っている息子が大きな病気に罹った、という心配を背負わせたくなかったからです。しかし、全く卒業できる目処が立っていない私には休学以外の選択肢はありませんでした。

両親に申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら電話をかけ、口頭で自分の置かれている状況、今後の予定について話しました。普段そんなそぶりを見せることは全くありませんが、母の声色は泣くのをこらえているように聞こえました。冷静かつ落ち着きが取り柄の(だと自負している)私も電話を切った後、堰を切ったように泣いてしまいました。幼少期を除く今までの人生で、創作物に対する感動や突発的な痛み以外の原因で涙が出たのは初めてでした。

両親および指導教員、内定先と話をつけ休学することになりました。この頃の私は身体的な不調はもちろん、精神的にだいぶ参っていたように思います。小学生や中学生の頃から周囲から「賢いね」と期待され、運もありストレートで志望の大学、全国トップクラスではないにせよその地域ではそれなりの大学、に進学し、なんとか留年することもなく内定をいただくことができました。内定の報告をした時、両親は非常に喜んでいたと思います。ですが、後遺症により内定は取り消し。今後卒業できるか、そもそも自立できるかも疑わしい自分の現状。部活の大会で貰った賞状を渡した時、大学に合格した時、内定の報告をした時、今までの人生で見た両親と祖父母の喜んだ顔がフラッシュバックしました。いっぱい知識や経験を与えてくれて、いっぱい期待してくれて、いっぱい愛情を注いでくれて、ありがとう。感謝の気持ちと同時に期待に応えられない自分の情けなさに涙が止まりませんでした。周りへの罪悪感や、健康な人間と自分の現状の比較をして毎日のように号泣していました(まともに散歩すらできない私は窓から道路を歩いている人を見て泣いていました)。泣いたことなんてなかったのに。人の精神は簡単に壊れます。

心療内科にかかると不安障害と鬱の診断がくだりました。まさか自分が抗うつ剤を飲むことになるとは思いませんでしたが、理想ではなく現実の自分と向き合うように努力していました。この時点では後遺症の発症から半年ほどが経過しています。

治療と快復

後遺症に関して、未知の病気であるため治療法が確立していませんでした。そのため、私はBスポット療法と呼ばれる、鼻腔から綿棒を入れ、上咽頭に塩化亜鉛を擦過するエビデンスに乏しい治療を受けていました。この治療法ですが、非常に痛みが強く大人でも涙が出てしまうほどでした。加えて、治療効果があるというエビデンスが薄く、本当に効いているのか?という不安もありました。もちろん未知の病気に対する信頼性の高い療法など存在しませんが。週に一回ほど耳鼻科でBスポット療法を行い、毎晩抗うつ剤を飲むという生活を送っていましたが、どちらも効果は体感できませんでした。

「治療」ではありませんが、心身ともに参っている自分に旅行のお土産をくれたり、心配だと連絡をとってくれたり、周りの友人たちがひきこもっている私との関係を続けてくれていました。また当時付き合っていた彼女には生活の補助や精神面のサポートをしてもらいました。この事実は非常に大きく、心が弱っている自分には、自分の存在する意味に思えました。今思えば、友人たちの存在が治療に本気で取り組む活力になったと思います。

決心した私は朝日を可能な限り浴びること、元気の良い日だけ疲れない程度に散歩すること、もし体調が悪化しても絶対に治す気持ちを忘れないこと(最も重要)、の三点を意識して生活を送ることにしました。すると、徐々に歩行できる距離が伸び始めました。もちろん、歩ける距離が短くなることもありましたが、ポジティブシンキングを忘れないように気をつけました。

このような生活を半年ほど続けると、ある程度長距離の徒歩も問題なく行えるようになりました。ただの散歩と日光浴、それと心の持ちよう。結局精神論、というわけではないのですが気持ちや考え方が行動につながって、その行動が病気に作用するように感じました。さらに半年経つころには、短時間なら友人と遊びに出かけられる程に快復しました。決心が固まってからは一年ほどでそれなりに動けるようになったので、運が良いほうだったのかもしれません。

現状と罹患して感じたこと

現在、私は卒業に向けて研究の日々を送っています。無事に二回目の就活も終え、体を労わりながらではありますが、友人と遊びにも出かけています。

なんとか自立できそうな予感がしていますが、この後遺症により、二年の空白期間が生まれました。生涯賃金や若い年齢で活動できる時間を失ったという面では大きな損失です。ですが、学ぶことも非常に多くありました。後遺症そのものだけでなく、後遺症から学んだこともこの記事において伝えたいことなので一つ一つ書いていきます。

健康のありがたみ

今までの人生では大きな病気にかかったことはありませんでした。健康なことが当たり前、という感じですね。ある程度身体を酷使しても得られるものが大きければそれで良い、という考えを持っていたかもしれません。仕事、趣味、愛情、人生には様々な事項がありますが、健康を欠いた瞬間に全てを失います。今後の人生では健康の優先度を低く見積もらないよう気をつけたいと思います。

気持ちの持ち方

私は何もかもメンタルでどうにかなると語るのら嫌いです。実際、心の持ちようが病気を治すことはないと思います。しかし、今回の私がそうだったように、心の持ちようが行動に影響を与えて、間接的に病気を治すことはあります。文章にしてみると当たり前のことかもしれませんが、実際に体験してみると「気持ち」が人生に与える影響の大きさをバカにはできなくなりました。病気の治療だけでなく、人生の選択全てに関わってくることだと思うので、気持ちの持ち方を意識しながら生きていこうと思いました。

病気の人間への接し方

寝たきりになるのは人生で初めてでしたが、とても辛かったです。社会と隔絶されて他者からも理解を得にくい、それでも身体は動かない。これはコロナ後遺症だけでなく鬱などにもあてはまること(そもそも私も後遺症ではなくただの鬱かもしれない)だと思いますが、必死にもがこうとしている時にただただ怠けているだけだと思われることは筆舌に尽くし難い辛さです。今回の後遺症ではこれが一番辛かったです。インターネットなどで「鬱は甘え」「コロナ後遺症なんて存在しないだろ」などの文言を見るたびに胸が締め付けられるような思いでした。これがこの記事を通して最も伝えたいことなのですが、患者の方と直接関わる機会がなくても、一人でも多くの人が「こんな病気で苦しんでる人いるんだなあ」という気持ちを頭の片隅に置いてくれたら少し社会が優しくなる気がします。コロナ後遺症、ひいては病気に関わらず、こんなことで苦しんでいる人がいるのかもしれない、と思うと人は人に優しくなれるのかな、と感じました。

あとがき

ながながと重苦しく悲観的な駄文を垂れ流しましたが、私は元気です。

みなさんの周りにも色んな人がいると思いますし、基本的に人は支え合って生きています。ただし、相手のことを支えられなくなったら無理に支える必要は無いと思うんです。でも相手の苦しみだったり悲しみは想像してあげたほうがたぶん良くて、この記事を読んでくれた皆さんにも「運悪く辛い思いしてる人もいるんだなあ」とか自分がしんどくない程度に少しだけ思ってもらえたら嬉しいです。偉そうなこと言ってる僕も全然できてなくて、人を傷つけてしまっては反省の繰り返しですが。

あー、就職してから上手くいくかとか、結婚できるかとか、色々不安だけど、外出て歩ける喜びを胸に今日もがんばろ!!!!!!うんこして寝る!ブリブリ!!それでは!

初めてニューハーフ風俗に行った話

お久しぶりです。

わたしです。

先日の記事cabbage-man.hatenablog.comでも書きましたが、彼女と別れました。

男が独り身になったらすることはなんですか?

そうです。風俗店にお世話になることです。

ということで、ニューハーフ風俗店に行くことにしました。論理の飛躍


理由はひとつ。

ちんちんを舐めてみたい!

からです。


舐めてもらうだけではダメなのです。人にされて嫌なことは人にしない。人にされて嬉しいことは人にすべきなのです。

とはいってももちろん生物学的に同性の方との行為の経験は皆無。そもそも勃つのか、嫌悪感を催さないかなど不安は募りますが、優柔不断な男はザコ!の気持ちを持って勢いで予約しました。

予約後にすることは、パネマジ等を考慮して過度な期待はせず、それでいても期待に胸を膨らませながら当日を待つのみです。

ただ私は初心者のため、当日まで男の娘もの等で致す練習を行いました。基礎練は大事ですからね。


〜当日〜


店側に電話で連絡すると、あるマンションの一室を指定されました。

不安を感じながらエレベーターに乗り、指定された部屋のチャイムを押し、レスポンスを待ちます。

「開けていいですよー」

クッッッッソビビりながらドアを開けるとそこには下着姿の指名した嬢の方が!

うーん!男!?女!?わからん!!

????????????

かわいい?のか?イケる容姿な気はする?

脳がバグって停止していると声をかけてもらえました。

嬢「入っていください、どうぞ〜」

僕「ア、ッスキョハヨロシクオネガイシマス、ッフ」

嬢「緊張されてます???」

僕「アッハイ、メチョクチャキンチョシテマス(大嘘)」

一言目から挙動不審になってしまいましたが、華麗な機転でコミュニケーション能力の低さを緊張のせいにできました。勝ちです。

相手の容姿はキレイ系?で予想より少しお年を召している気もしましたが、割と当たりの部類な気がします。

部屋に入るや否や手を引っ張られ、ベッドに座らされました。お手手はやっぱりゴツゴツしてますね。

座りながら少し雑談をしましたが、その間常にボディタッチをされました。ニューハーフの方が初めてということを打ち明けたり、天気の話をしたり、たわいのない話を続けます。

適当に雑談していると、急に服の上から乳首を触られ、軽く声を上げてしまいました。「かわいい、ウフフ」だのなんだの言われて複雑な気持ちになったところで、服を脱いでシャワーを浴びることに。

重度の仮性包茎(皮が余りすぎてドリュウズみたいになっている)なので恥ずかしがっていると、「私もいっしょだよ」といわれ嬢がパンツを脱ぐとそこにも大きなドリュウズが。砂パミラーかな?

当たり前なんですが、ついているという事実にやはり脳がバグります。性別とは何かという哲学的な思いに胸を馳せながら、シャワーを浴び終えるとベッドに横たわるように指示されました。

ここからは色々なところを舐められたり触られたり、まあ通常の風俗となんら変わらないことをして、私のディグダも無事アローラナッシーに。

嬢から「そろそろ入れる?」と提案があり、このままことを終えてしまってもよかったのですが、ここで逃げたら何の意味もないということで、意を決して「舐めてもいいですか?」と暖めてきた目的をぶつけました。

嬢はもちろん快諾。相手のものが私の口に近づきます。ビビりながらも一気に咥え、細心の注意を払いつつ舐めると、口内でモノが膨張します。

えっ、楽しい。

モノが膨張するという分かりやすいフィードバックがあるため、何かよくわからない達成感を感じられます。

そして、舐めている間になぜか自分のモノも大きくなっていることを嬢に指摘されました。


は???なんで?

終わりです。

ちんちんを舐めてちんちんが勃っています。


これには流石の僕もビビって少し放心していると、嬢がこいつイケるやんと判断したのか私を押し倒し、穴に指を入れてきました。

「アカンすよ!」と心の中では思うものの、なぜか声を発せず、されるがままに指を入れられ奥の方で動かされたところで痛みが。

「イタイッス」というと指を引き抜きながら「あっ、ごめんね、でも絶対素質あるから自分で少しやってみるといいよ」と謎の勧誘を受けました。これ以上深みに行くと終わりそうなので絶対に嫌です。

「じゃ続きしよっか」ということで、相手の穴に入れて動いてみるものの、どこか同性という事実がチラついてなかなか発射できません。

私が遅漏気味なのもあるかもしれませんがどうしても"男性"が脳裏によぎってしまい、試行錯誤しても難しかったため、最後は目を閉じながら自分の手でフィニッシュしました。

時間はかかったものの最後までなんとかいけたし、ちんちん付いてるだけでニューハーフいけるやん!と思いました。この時点では。

少し時間をオーバーしてしまったので、急いでシャワーを浴び、着替えて、マンションの一室をあとにしました。最後に嬢から「DM 待ってるね!」と言われた気がしましたが、これ以上深みにハマると終わりそうなので聞かなかったことにしておきます。


〜退店〜


帰宅するため駅へ向かって歩いている途中、相手のモノを舐めた記憶が何度もリフレインし、同時に謎の吐き気に襲われました。

行為が終わって冷静になると、男のモノを舐めたという事実が自分には受け入れ難く非常に気持ち悪く感じられました。最中は勃っていたんですけどね

いわゆる賢者タイムのせいかとも思いましたが、記事の執筆時点でも嫌悪感は続いており、やはり私は生物学的男性を愛することはできないということが分かりました。同性と異性の間には大きな壁があることを実感できる良い経験だったように感じます。練習により開拓できた男の娘モノが今回の経験で使用不能になりました

今回はちんちんを舐めてみたいというアホ小学生みたいな理由で風俗店にお世話になりましたが、自分の性的指向を再確認するとても良い機会になったと思います。

多様性の重要度が急速に高まるこの世の中で、自分の特性を知ることは非常に大切なことだと思います。

自分のことを良く知るためにも、みなさんもニューハーフ風俗店に行ってみてはいかがでしょうか?

近況報告

お久しぶりです。

わたしです。

一年以上放置していましたが、最近色々あったので久しぶりに更新する気分になりました。

前回、研究がうまくいっていない旨を記事にしましたが、うまくいっていないどころか私はいまだに元気に学生です。 ^ ^





??????????????




怠けていただけ、というわけではなく、コロナの後遺症になって、嗅覚障害、全身倦怠感のために長期間療養していました。まだ寛解とは言い難いですが、だいぶ良くなりました。

人生何が起こるかわかりませんね。

内定をいただいていたのですが、就活ももう一度行わなければなりません。強くてニューゲームというやつですね。病気のぶん弱くなってニューゲームという説もある



というのと、マッチングアプリ体験談みたいな記事も書いていましたが、、、、







実は二年ほど前に彼女ができていました!!見たか!!!!!クソ童貞ども!!








まあ先月別れたんですけどね。はい。
恋愛って難しいですね。




色々ありましたが、何はともあれ頑張ります。
みんなもがんばろうね!!

研究がうまくいっていません

久しぶりの更新です。


寂れた個人ブログとか見にいくと、ほとんどの記事の書き出しが「お久しぶりです」なのなんかホッとしませんか。


僕は人間味を感じられて好きです。


はい。





本題に入りますが、


色を変えてみました。どうでしょうか。


私はいま数値計算を行っているのですが、計算結果が合っているのかどうなのか怪しいです。


具体的には、系のエネルギー収支が合ってない(ように見える)という問題が起きています。


計算の設定ファイルの書き間違え、メインプログラムの書き間違え、何らかの見落としがあって実は収支がとれている、などなど原因が複数考えられ、特定できていません。


とりあえずは問題の切り分けを完遂すべく、なんとか頑張っていこうという所存であります。


あれ?春には修論書き終わるのでは?とか思っていた去年の自分……さようなら!w



はい。

がんばります。

みなさんもがんばってください。

さようなら。
長期間無職でしたがバイトのお金が入ったので、"計算環境構築のお勉強のために" Thinkpad を買おうと思います。楽しみですね。