イマドキの大学生が考える宗教

お詫び

どうもこんにちは。キャベツマンです。訳のわからない駄文を綴りますが、酔った学生の戯言だと思って暖かく見守ってください。

浅はかな宗教観

世界には仏教やキリスト教ヒンドゥー教など数え切れないくらいの様々な宗教がある。私は自分が何教の教徒なのかあまり考えたことがないし、無宗教なのでは?と思っている(実家の葬儀などはおそらく浄土真宗で行っているため、家系的には浄土真宗?)。

しかし、細かい話をすれば、「モノ」を粗雑に扱うのを目にすると気分が良くないし、「モノ」にあたる人に対しては心底嫌悪感を覚える。これはおそらくすべての事物に神が宿るという八百万の神々の信仰からくるものだと思う。そういった面から考えると、私は神道を信じているのかもしれない。非科学的なものは信じないようにしているつもりだが、初詣に行ったり、おみくじを引いたり、少なからず植え付けられているものはあるように感じる。

宗教の存在理由

私個人の見解ではあるが、宗教の存在理由は人間が理解できない現象の説明、死に対する恐怖の軽減の2つに収束すると思う。この考えに則れば、「科学ですべての現象を説明できる」というのも科学を信仰するひとつの宗教だとも言えるだろう。また、浄土宗などは死への恐怖を軽減する最たる例で、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽浄土へ行くことができる、といったふうに死後の幸福が約束される宗派である。実際に、言葉を発するだけという、信仰するにあたっての手軽さから教徒が多いらしい(現代においては、熱心に浄土宗を信仰している人は少なそうなので、ここは「多かった」が適切かもしれない)。人間が理解できない現象も、死も、未知のものという観点では同様である。人は未知のものに対する不安を取り除くために宗教を創り出したのかもしれない。

現代日本における宗教

近年(少なくとも日本では)、特定の宗教を信仰する人が減っているように感じる。これは、科学という宗教を信じるあまりに、この世に説明できないことは無い、怖いものは無いという思考に陥っているからではないだろうか。現代医学を信用すれば我々の感情は脳によってもたらされるものであり、生命活動が停止してしまえば恐怖も、後悔も、何の感情も沸かないだろう。したがって、死後は死という結果について何も考えることはできず、生前に抱く死についての恐怖など何の意味をなさないものだとも言える。この考えが蔓延ったことで、死への恐怖が薄れ、自殺者が増え、宗教を信じる人が減ったのではないだろうか。死人に口なしとはよく言ったもので、今生きている人の中で死を経験した人はいないので、実際のところ死後どのようになるかは全くわからない。依然として「死」が人類にとって未知の事象であるにもかかわらず、「死んでも何も考えられなくなるしどうでもいいわ」などと考えている人は科学という宗教を信じる敬虔な教徒なのかもしれない。

おわりに

なんかゴチャゴチャ書いたんですが、自分の思っていることを吐き出しただけなので、宗教に詳しい人色々教えてください。

こんな怪文書を最後まで読んでくれてありがとうございます。